私は日本国内で育ち、日本の普通の教育を受けてきました。初めて海外に行ったのは19歳の時。友達とアメリカへ行ったのが最初です。

英語に関してごく普通の学生

英語との出会いは6年生

そもそも私と英語の出会いは、小学校6年生の時。うちの母親が、私を英語教室に入れたのがきっかけです。なんだかよくわからないまま、日本人講師が教え、そろばん塾を間借りした、その塾へ1年間通いました。

中学では英検3級まで

その後、中学校へ入り、その3年間は、近所の同級生のお母さんを開催している英語教室に通っていました。それなりに勉強し、中学校3年生のときには、英検3級に合格しました。いたって普通ですよね。

ちなみにそのお母さんが、英検3級受験を促さなかったら、私は受験しようとは思いませんでしたので、世の中の仕組みをよく知らない若者の「背中を押す」というようなことは非常に重要なことだと思います。

普通の高校生に普通でない英語教材が

高校進学を機に退塾しましたが、1年生の2学期以降、英語についていけなくなった感があり、再び同級生のお母さんの教室に再度通うこととなりました。

高校3年生になり、大学受験の為の勉強していましたが、覚えなければいけない単語の量に辟易としていました。そこで1つのエポックメイキングな出来事がありました。

この膨大な量の単語は、「どうしたら覚えられるのかな、いつか覚えられるのかなー?」、などとのんきに思っていたそんなある日、父親が当時では珍しい音声テープ付きの単語帳を買ってきたのです。それは本当に、今では考えられない位シンプルなもので、英単語を「英語→日本語の意味」の順番で2回ずつ読むものでした。「Ability能力Ability 能力」とABC順にひたすら朗読していく。

楽に覚えられそうな気がして、その教材を気に入り、何度も聴いていた記憶があります。

それなりに英単語も頭に入り、めでたく、(特に希望していない)大学に入学しました。しかし、この時の「リスニングして覚える」という経験は、後々の英語の勉強法観に大きな影響を及ぼしました。

海外との出会い

初の海外旅行

そのあとの大学4年間、それこそ全くと言っていいほど英語は勉強しませんでした。ごく普通のだめだめ文系大学生でした。この間に、最初にも書きましたが、友達と初めて海外旅行へ行きました。海外旅行としては、ロサンゼルス以外にも、父親のマイレージで行った短期のヨーロッパバックパック旅行(イギリス、オランダ、ドイツと周遊)と、卒業旅行でマレーシアとシンガポールを訪れました。

大学卒業後、陸上自衛隊に幹部候補生として入りますが、その直前の2カ月間だけ、語学留学にオーストラリアへ行くことになりました。中学校時代からの友達と、語学留学へ行こうと言うことになり、彼はイギリス、私はオーストラリアへ行きました。その当時全く英語は話せず、オーストラリアの語学学校では下から2番目のクラスに配置されました。

語学留学でオーストラリアへ

オーストラリアを選んだ理由は簡単。当時のオーストラリアは、今より遥かに経済レベルが低く、日本人にとっては割安な留学先でした。加えて時期が12月、1月だったので、寒いのが嫌いな私は南半球を選んだ、ということもありました。

2月下旬に、語学留学を終え、帰りの飛行機がシンガポール経由だったため、そのまま真っ直ぐ帰国するのもつまらないし、もったいないなと思い、タイのプーケットへ行き、約2週間ほど放蕩しました。本当に自由気ままな時でした。

みるみる落ちていく英語力

英語をする時間などない新隊員

その後は幹部候補生学校へ入校し、朝から晩まで教官にどやしつけられ、走らされ、蹴とばされ、と心身ともに疲労困憊でしたので、英語をやっている時間など全くありませんでした。陸では、海上自衛隊と異なり、英語は重視されてはいないものの、一応英語の授業はあり、TOEICも受けさせられ、その時は550点でした

入隊して数か月が経って、ある程度環境に順応してくると、土日には比較的時間ができてきました。平日は外出できず隊内で男だらけの生活をしていたので、「女の子と出会う機会を作ろう!」と、今(2023年時点)アメリカ・ワシントンで陸上自衛隊の防衛駐在官をしている東大院卒の同期と、当時流行していた「駅前留学」をやっている大手英語教室の福岡県久留米校に行くことにしました。

当てが外れた駅前留学

通い始めたものの、全く女性はおらず、出会いもない。もっと悪いことに、そこには幹部候補生学校の隣にあった久留米駐屯地の幹部も通っていました。その人は、たたき上げの元空挺レンジャー。筋骨隆々で、「お前らはたるんでいる」などと、シバかれる始末。また英語もすでに堪能だった彼とも別のクラスに。何のために英語教室に通うことにしたのか全く判らなくなってしまい、次第に足が遠のいていきました。

足が遠のくのにはもう一つ別の理由もありました。このスクールは、後に裁判沙汰になった事前回数券制で、チケットの枚数分だけ、行きたい時間に予約して通う、と言うもの。自由で良いのですが、「行かないともったいない」、と言うプレッシャーもなく、また事前予約も当時は電話予約だった為、電話が面倒でそのうち全く行かなくなりました。なかなか強制されないと人は努力できないものです。

これによりオーストラリア留学で伸びた私の英語能力は、無事に高校卒業程度に戻りました。

人生の転機:英語学校へ派遣

落ちる前に留まった

候補生学校を終えた後は、宮崎県で勤務していました。大体自衛隊のあるところは田舎ですが、私のいた宮崎県都城市も漏れなく田舎。その上、都城市に縁もゆかりも全くない私は、友達も皆無で、ハメを外して遊ぶこともなく、暇な時間は、テレビを見たり、お酒を飲んで自堕落な生活をしていました。

そんなある日に「おれはこのままではダメになる!」と思い、何か勉強しなければ、と思い始めました。その対象に選んだのが英語。これが人生の転機となりました。

英語にはまる

それから、暇さえあれば英語を聴き、英文を読んでいました。当時は英字新聞「Daily Yomiuri」 も購読し、MP3プレイヤーで、昼休憩の間英語を聞く、演習前後の移動時は、英語を聞いたり、単語帳見るなどしていました。

英語を勉強しないとなんか物足りない、そんな気持ちになるくらい、英語にはまりました。

英語学校へ

その努力が上司の目に留まり、約半年間、東京都小平市にある自衛隊の教育機関(小平学校)で英語を学ぶチャンスを得ました。そこでは、朝から晩まで、文字通り、朝8時から夜10時まで、休憩時間を除き、英語にどっぷりとつかりました。

この小平学校で勧められた、というか、強要されたのが「音読」です。

とにかく数冊の基本書と単語集の英語を聞いて、発音を真似し、それを何度も音読するということを、強制されました。

英語研修中の一コマ

そもそも自衛隊では、戦闘中の錯誤をなくす為、通信通話法、射撃号令、落下傘降下の安全点検法、攻撃命令等々、様々な定型文を覚えておくので、英語の文を音読して覚えると言うのは非常に相性が良かったと思います。

「音読なんて意味あんのかよ?」と疑問でしたが、そこから私の英語の力は大きく飛躍。約2ヶ月後のTOEICは、800点オーバー。急激に上達しました。その後も努力を続け、かなりの知識と自信をつけることができました。

休暇を利用してベトナムへ

正直、私はそれまで、「どうしたら英語が話せるか」という、勉強法を考えたことがなく、ただ闇雲に英語を聞いたりしていただけでした。語彙力を音読で増やせ、と言われたことは天啓でした。

英会話は別物

しかしながら、やはり英会話となるとなかなか難しく、アメリカ軍のリエゾンオフィサーと話す機会やキャンプ座間、横田基地などでの研修時も、うまく話せず、もどかしい思いでした。

英語にどっぷりとつかり、英語を聞きまくって、音読しまくっても、会話をするのはむつかしいのだな、と厳しい現実を見せつけられたのでした。

汗をかいた分だけ伸びる英会話力

半年間の英語研修終了後は、再び九州において勤務し、その間米陸軍との指揮所訓練や米海兵隊との共同訓練でアメリカへ行くなどのチャンスをもらい、生の英語に触れることができました。

そこでは、大まかに決めるアメリカ側と、詳細を詰めたがる日本側の間に立たされ、すれ違いを解決すべく、毎日ずーと米軍と英語を話したり、通訳したことが英会話能力の向上につながりました。この経験から、私は「普段やならい英会話をやっても話せるようにはならない」と考えるようになりました。

海兵隊のカウンターパートと

経験を活かし次世代には同じ苦労はさせない

学生時代は特別に英語を習いに行ったわけではなく、英語で苦労したことは、多くの日本人と同じ境遇だと思います。

そして社会人になってから本格的に英語を学んで、話せる様になった事は多くの日本人の参考になるとともに、「今からでも遅くない」と言う希望を持っていただけると思います。

ですが、英語業界の現実はどうでしょう?いまだに学校の授業の先取りをしたり、英会話をしたり、、、昔から変わっていません。平成の30年を「失われた30年」とよく言いますが、英語に関しては、半世紀以上失われています。そして現状が続くならこれからも失われていきます。

次の世代には、私と同じような苦労をさせずに、時間を味方につけ、もっとスムーズに英語を習得できるようにしたい、と考えています。やるべきこと、反省事項、避けるべきことなどを踏まえて、英語そのものでなく「英語勉強法」教え、最も重要な英語の練習させていきたいと思っています。

  • 音読で語彙力、リスニングは伸びる
  • 語彙力は英語のほとんどの問題を解決
  • 英会話は英語に漬からないと伸びないから今はやるな

というようなことをコアとして、レッスンに取り組んでいっております。