少し前ですが、キャリネコニュースと言う、たぶんキャリアとか職に関するサイトに、「英検準1級程度では歯が立たない」海外出張の多い男性の後悔、という記事が載っていました。
記事の趣旨とは、若干ずれていますが、英語の試験について考えるきっかけをくれるものでした。TOEIC やTOEFLなど、様々試験があり、高得点を求められますが、そういった英語は役にたつのか?意味あるんか?と言う疑問を生じさせてくれる記事です。
(参照:英検を目的にしてる人いないよね?AERA)
確かに英検1級では、、、
ネイティブの英語は特にわからない
私はこの方の感想がよくわかります。私も英語力を期待されて、アメリカ人のネイティブ相手に、国内や海外で通訳として呼ばれたりしましたが、その時に、何度絶望に陥ったことでしょうか。相手の言っていることがわからない、何かプレゼンをしているが、ほぼわからない。
わからな過ぎて逃亡
私より役職が下の人や、部下などが同室におり、通訳要員が十分いることに安心して、その場から後退りして、そっと退出し逃げたことさえあります(汗)。今でのあの状況を思い出すとゾッとしますし、あの「逃亡」は正しい決断でした!
英語の試験の使用法
試験で英語力を測るのは難しい
英語力と言うのは、測定が難しいものです。
例えば、TOEICはリーディングとリスニングだけ。これでは、スピーキングや、ライティングは測れませんし、英検の場合は、いわゆる4技能(読む、聞く、書く、話す)を求められますが、合格基準は約7割と言われ、試験対策本などで研究すれば合格する事はできます。
こういった方々の英語力はない、とは言えませんが、あるとも言えないというのが実情だと思います。
試験を受ける意義
それならば、試験を受ける意味は無いのでしょうか?
そんなことありません。それにはいくつかの理由があります。
それ以外では英語力を証明できない
こういった試験以外では、英語を勉強してきたと言う記録を証明することが難しいからです。
入学試験や、就職試験などで、審査される第一段階は「書類」です。本当に英語力があるとしてもそこには、文字情報しかありません。そこに、「英語が得意」と書いてある人より「TOEIC 900点」や「英検2級」と書いてある方が、英語力を証明しやすいですし、説得力もあります。
また、いちいち英語力を対面で一人一人確認すると言うのは、時間やコストの面でなかなか難しいことです。
英語学習の目標となる
また英語学習の目標となります。ただ漠然と、英語を勉強していては、モチベーションは上がりません。英検などの試験があれば、それに向けて勉強する可能性が高まります。
また学習効果の測定も確認できません。自分がどれくらい上達したのか、今の学習方法が果たして適切なのか、等々を確認できます。
そういった英語学習のツールとしての使い方があります。
英語の素養が高まる
試験対策の勉強することで、英語能力は確実に高まります。特に英検は、語彙力が要求されるので、それらを覚えることで、英語力が高まっています。
日本では英会話はできるようにならない
しかし最も求められる英会話の能力はどうかと言うと、残念ながらダメです。「知識はあるけど、、、」なので、画竜点睛を欠く、とはこの状態です。
会話は場数を踏まないと伸びません。そして日本にいては会話はできるようになりません。場数を踏む環境がないからです。
しかしながら、日本人は「会話重視」と言う、向かっている方向は正しいものの、英会話をやる、と言うアプローチが誤っているので。英語を習っても英語を話せない人ばかりだなのです。
この記事の方は、幸い英会話至上主義に陥らず、しっかりと英検準1級に受かる英語の素養を身に付けたので、その後、英語が比較的スムーズにしゃべれるになったのでしょう。
これで英会話をやっていたら、そこまでなっていたとは到底思えません。
最後に、日本において、英会話を習うことをEテレの「0655」でかかる阿佐ヶ谷姉妹の歌う「糠に釘ソング」の歌詞でお送りしたいと思います。
糠に釘 全く無駄なこと
犬に論語 全く無駄なこと。
豆腐にかすがい 全く無駄なこと。
闇夜の錦 全く無駄なこと
沢庵の重しに茶袋 全く無駄なこと。
石に灸 全く無駄なこと。
猫に小判 全く無駄なこと。
馬耳東風 全く無駄なこと
ざるに水 全く無駄なこと。
のれんに腕押し 全く無駄なこと。
豚に真珠 全く無駄なこと
貝殻で海を干す 全く無駄なこと
石地蔵に蜂 全く無駄なこと
日本のことわざより