様々な科目において、現在必要な学習範囲より先に進み、どんどん「先取り」をする人がいます。
特に子供においては、「プリント式」学習教室においては、先取りが普通で小学生が高校生の内容の学習をしていると言うこともままあるようです。
時間は有限なので、
何かをする時間=他の何かを諦めた時間
であることから、何にどれだけ費やすかは考えるべき問題です。
勉強の先取りするべきなのか、それとも別のこと、例えば「遊ぶ」「楽器や絵画を学ぶ」、「運動をする」に費やすべきなのかは、様々な考えがあるでしょう。
もし勉強の先取りに価値があり、価値のある科目があるとするなら、それは間違いなく「英語」であると断言できます。
もちろんこれはポジショントークの面もありますが、下記の点を見ていただければ納得していただけると思います。
英語に充分は無い
基本、英語をいくらやっても、やりすぎと言う事はありません。
日本国内で育っている以上、どれだけ英語を勉強しても不十分です。
ネイティブにはもちろんですが、英語を公用語とする国の人々や、英語に近い言語の国の人、おしゃべり好きな国の人々の英語力に追いつけません。
語彙、表現力、雄弁さ、に大きな差があります。
日本人にとって英語にやりすぎは無いのです。
どの分野でも英語は役立つ
英語はすべての分野で活躍の幅を広げてくれます。
他教科で、例えば物理や歴史、どんどん突き進んだとしても、ひとたび異なる分野に進んでしまえば、その重要性は減ってしまいます。
物理を得意とした人が、社会に出てからどれくらい物理の知識を使っているでしょうか。
しかし英語は、どこの分野へ進もうと使えますし、加えて活躍の場をグローバルに広げてくれます。
専門性を2倍以上に広げてくれる、と言うイメージでしょうか。
実践的である
英語以外の科目は、テストのため、成績をつける為、優劣をつけるため、に行うケースがあります。
勉強のための勉強。
しかし、英語はそのまま学んだことが使えます。
今の英語に厚みが出る
他の科目をどんどん突き進んでいき、知識を先取りしても、現段階での学習に役立たないことがあります。
例えば、高校数学の微分積分を学んでいても、中学校の入試にはあまり役立ちません。
もちろん、中学で微分積分を学ぶ程度の学力があるのであれば、中学校レベルの数学はお手の物でしょうが、先取りした知識が役に立つかと言われれば、そうではありません。
しかし、英語は突き進んでいけばいくほど、現在取り組むべき英語に厚みが出てきます。
高校レベルの英語ができる子は、中学英語、高校入試の英語は楽勝でしょう。
以上の理由から、先取りは価値があることだと思います。
資格至上主義になってはダメよ
しかし、「先取だ!」と言って、英検至上主義など、資格至上主義に陥ってはいけません。目的と目標を取り違えないように。
資格試験には、特有のくせ、対策があります。
「資格あるところに対策あり」です。
資格を目指してしまうと、受かることが目的となり、対策に力を注いでしまいます。
英語力アップという目標ではなく、試験に受かることが目標となるケースがままあります。
これは大人の英語も同様です(TOEICが英語の一部界隈から嫌われるのはそのためです)。
この私が英語の伝道師となるとは
しかし不思議なもので、私は中学校の頃などに、先生から英語を学ぶ理由を聞かれ、
「そんなもん、学校で課されるからに決まってんだろ」
とひねくれた考えを持っていました。
優等生が、
- 「真の国際人になるため」
- 「優れた外国の文化を取り入れるため」
などと答えているのを聞いて、
「けっ、何が国際人だよ。外国かぶれが!」
などと尊皇派のような反発を覚えていた私が、英語の重要性をこれでもかとしつこく解いているのですから不思議なものです。
ちなみに、類似の主張が幻冬舎のオンラインサイトにありましたので、掲載いたします。