よく生徒から下記のような質問・苦情(?)を受けます。
- なぜ日本人なのに英語を学ぶ必要があるのか?
- 日本に来る外国人は英語でなく、日本語を話すべきだ
等と。
これは反抗期の生徒からよく受けるのですが、私も同じようなことを言っていたので、このような質問等を受ける立場になった事は不思議なものです。
究極的には、「本人が良ければそれで良い」と言うところなのでしょうが、彼らの未来を考えれば絶対にやったほうが良いでしょう。
こういう質問にまじめに返しても、大体「屁理屈」が返ってきますが、客観的にある程度答える必要があります。
何度も言うが日本は少子高齢化
負のスパイラル
くどいように述べていますが、日本は少子高齢化の人口減少。
これからの若者は、背負うべきものが自分よりも大きいものになります(社会保障において、現役1人に対し退役2人が養われるなど)。
ガンガン稼いでいかなければならない中、その国内市場は人口減で縮小していきます。
という事は、「海外において」もしくは「海外から」稼ぐ必要が出てきます。
頼るべきものはない
また彼らに対するセーフティーネットもかなり貧弱なものとなります。
そりゃそうです。ただでさえ養わなければならない層が多すぎるのですから。
頼るべきものはありません。
にもかかわらず、税金や社会保障などの大きな負担はのしかかってきます。
そうなったとき、他の国で(日本をあきらめて)生きていこうとするには共通語である英語ができないと難しい。
そのためにも学ぶ必要があります。
どんな業界でも英語がキー
またよく聞く英語を勉強しない理由が、
俺は専門で生きていくから良い
などです。
大体の学問で英語が必要
ですが残念ながら、どの学問に行くにしても英語が必要となります。
ここでの学問と言うのは、学部レベルではなく、大学院レベルで考えてみましょう。
大学院ではざっくり言うと、論文を読む、実験をする、調査をする、論文を書く、と言うようなものですが、この時に英語の論文を読んだり、書いたりすることが多いので、英語力が必要となります。
これは理系、文系関係ありません。
理系の大学もはっきりと英語の必要性を宣言
これは、久留米工業大学と山形大学ほホームページですが、明確に英語の必要性を謳っています。
理学を勉強するにあたり、英語は非常に重要なツールとなっています。専門分野の参考書は日本語のものだけでなく英語で書かれているものも多く存在します。卒業研究や修士課程では、英語の専門書を読むことも多々あります。それゆえ、英語の専門書を読みこなすためのリーディング力が必要とされます。また、インターネットで専門の情報を集めることもありますが、ネット上にある情報の内日本語が占める割合はわずか数%です。それに対して、英語は25%以上を占めると言われています。ここでも英語のリーディング力が必要とされます。
また、リーディング力だけでなく、ライティング力、スピーキング力、リスニング力も必要となってきます。
山形大学:山形大学理学部の英語教育への取り組み
大学に進学した後も、英語は必要です。大抵の大学では、一般教養として英語が必須になっています。また、研究室に入ると論文や資料を読むことが増えるのですが、それが英語で書かれていたりします。例えば、工作機械の説明書が英語で、日本語訳がなく、どうしても読む必要が出てくるということがあります。
工学部では英語力が求められる?必要な英語力や英語を学ぶメリットについて-久留米工業大学
科学と言う普遍的なものを研究するのですから、国籍、地域に関係なく世界中のより優れた、より先進的な知見を取り入れるためにも、英語は必要なのではないかと思います。
非英語圏の研究でも英語は必要
また地域研究で非英語圏を学ぶのでいらない、と言う人もいるでしょう。
しかし、それらも論文を書く際は英語も必要なってきます。
ウクライナへの侵略以降、テレビなどで解説している廣瀬陽子先生は、慶応大学の教授でロシアや旧ソ連地域の専門家(Wikipediaより)。
この地域ではロシア語が広く使われ、多くのロシア語で書かれた文献を読まれるんでしょうが、英語でも論文を発表しています。
マイナーな地域であればあるほど、研究者の数が多い英語圏の言語で、各国において第一外国語として学ぶ機会の多い言語である英語の必要性は高くなります。
英語・アングロサクソン嫌いの国でも
この傾向は、伝統的に英語圏嫌いの国でも見られます。
この代表格はフランスですが、このフランスでさえ英語が重要だと考え学んでいるのです。
フランスでは2005年から、小学校での英語学習を導入していて、そして小学校のうちにCEFRのA1レベル、英検でいうと3級レベルの習得を目指しているのです。
(CEFRやその関連記事についてはこちら:英検で留学の道も開ける)
日本人は英語から逃れられない
幸か不幸か、私たち日本人は英語圏の国々との関係が深く、それらの国が世界をリードしているのです。
そして、それ以外の強大で我々とは違った価値観を持った国に囲まれているのです。
私たち日本人は、あらゆる意味で英語から逃れられない、と自覚し、覚悟すべきです。