ネイティブ信仰
私が子供の頃、学生時代、そして英語を教えるようになってからも、英語を習うには、
「講師はネイティブじゃなくちゃダメ」
「語学留学は、イギリスかアメリカ」
と言う人がいました。
他の国だと、きれいな発音を身に着けられない、との理由でした。
オーストラリアでさえダメ
特に忠実な信者は、オーストラリアでさえオーストラリア訛りがあるからダメで、アメリカ、カナダ、イギリスが絶対と言う方がいました。
ちなみに、ワンマン宰相こと吉田茂氏は、孫である現在の副総理兼財務大臣である麻生太郎さんが若い時にアメリカに留学し、その英語がアメリカ英語であることに激怒し、イギリスに留学し直させたとのことです。
吉田茂氏にとっては「英語」と言えばクイーンズイングリッシュ(イギリス英語)だったようです。
では、私の周りのネイティブ信仰の人たちはどうなったでしょうか?
その人たちのほとんどは、ネイティブ並みの発音にならなかったどころか、外国人としての英語さえ満足にできないままでした。
なぜなら目標設定が誤っているから
このネイティブ信仰は、何が間違ってるんでしょうか?
ネイティブ発音にはなれない
ネイティブに習ったとしても、普通に習った位ではネイティブのように英語を発音できるようにはなりません。
ネイティブにこだわりすぎると、発音にばかり目が行き、他のことがおろそかになり、英語も満足に使えるようにならなまま時間が過ぎていく可能性が高まります。
ネイティブの発音になる必要は無い
加えてネイティブのような発音になる必要は全くありません。
英語圏の人たちは、外国人の英語に対して非常に寛容です。何とかわかってくれようとします。
これは、大英帝国の名残で世界中の植民人たちが英語を話すようになり、いろいろな訛りの英語理解する必要があったからでしょうか。
またインド人やフィリピン人を見て下さい。
彼らの英語は、ネイティブとは程遠いですが、インド人はアメリカのIT企業などで大活躍しています。
正直、インド人の英語は全く聞き取れないことが多くあります。
ですが、ネイティブに言わせると
何を言いたいのかよくわからない日本人の英語より、よっぽど分かりやすい
と言われます。ショックです。
コストが高い
上記に「ネイティブのようにはなれない」と書きましたが、不可能なのではありません。
それなりの時間とお金を使えばなることができるでしょう。
しかし英語を使えるようになるための時間とお金に、さらに追加のコストがかかります。
ROI(費用対効果)を考えよう
英語をテレビや映画に出てくる俳優のように話せる姿は、確かにかっこいいです。
ネイティブのように話せる人を見ると私もうらやましいと思います。 私も昔は、「リチャードギヤのようになりたいなぁ」 と思っていました。
しかしそこに至るには、コストがかかる事を忘れてはいけません。
そのコストに対して得られるものは、そんなに多くないでしょう (もっとも私の場合コストをかけたとしても、足の長さやあのハンサム顔がないので、リチャードギヤにはなれなかったですね) 。
費用対効果は合いません。
そんな余裕があるのであれば、本を読んだり、人と会ったりするほうが、よっぽど生産的だと思います。
当スクールの講師たちもネイティブでない講師もいますが、きれいな英語ですし上手です。イラっとするくらいです。逆立ちしてもかてないと思うこと仕切りです。
学習にもしっかりと費用対効果の視点を持つことが大切です。
教養ある英語を話せる日本人を目指しましょう!