外国語としての日本語
以前にも当ブログで申しましたが、私は日本語ボランティア養成講座と言う富山市が主催している講座に参加しています。
(本講座について:富山市民国際交流協会)
ここで講師の先生が現在進行形で進んでいる、在日外国人の子供に対する日本語支援の2つの対照的な例をお聞きしました。
それが大変興味深く、英語にも通じるところがあったのでご紹介させていただきます。
幼稚園から日本にいるが、、、
1つ目の例は、幼稚園の時から日本に住んでいる中学校1年生(Pさんと呼びます)。Pさんの場合、もうすでに日本での滞在歴が長く、日本語もペラペラです。
玉ねぎを題材とした本(正確なタイトルは忘れましたが)を使いレッスンをしていました。会話の中で玉ねぎを切ると涙が出るとう話題になり、講師が
「涙が出る仕組みが〜」
と言うとその子は、
「シクミって何?」
と仕組みと言う言葉を初めて聞いたような感じで質問をしてきたそうです。
その仕組みと言う言葉を説明するために
「玉ねぎの成分が、目にしみるから」と言うと
「セイブンって何?」とさらに質問してきたそうです。
繰り返しますが、Pさんは中学1年生です。
Pさんは全般的に日常会話以外の言葉を(積極的に)習うことなく今日まで育ってきたようです。
会話はイマイチだが、、、5年の時に来日
もう一つの例は、小学校5年生から日本に住んでいるBさん。同じく中学1年生。
まだ滞在年数が短いので、日本語の会話は既出のPさんほど上手ではありません。
しかし、何事においても理解が早く、どんどん上達していくそうです。Bさんは母国において母国語で小学校の教育を受けてきたので「思考」することができるからではないか、と先生は考えています。
英語だって同じ 厚みがないと
この子たち、どちらが社会に出て必要とされるでしょうか?日本語がいくら流暢に話せても、言葉の幅が狭いPさんよりも、Bさんを欲しがるでしょう。
これは英語にも通じます。
いくら英語を流暢に話せても、知識の幅がないとその価値は発揮できません。
これは、英語でたくさんの言葉を知っているだけではなく、母国語で得た知識や思考も含まれます。
子どもは英会話をやっている時間はない
よって社会に出てからしっかりと使える英語を身に着けるためには、子供は英会話をやっている場合ではありません。
「これは私が注文した料理ではありません」
を伝える英語をお金を払って子供に習わせるのは、お金と時間がもったいないです。
たくさんの本を英語で音読し、いろいろな言葉に触れてボキャブラリを獲得するとともに、教養を得ていくべきでしょう。