英語通訳者:田中慶子さんの著作

以前、GOETHEの記事で取り上げた本の著者、田中慶子さん。本を読まずに、あの参照先ウェブサイトの記事だけでブログを書きましたので、著作はやはり読まないとなー、と思い、読ませていただきました。

その記事はこちら:英語の目的、目標は的確に→GOETHE

今回読んだ本は、「不登校の女子高生が日本トップクラスの同時通訳者になれた理由」(KADOKAWA)です。

この本の書評ではなく、皆さんが英語や英語学習に対しての自信をつけてもらったり、皆が陥る勘違い、失敗等についての部分を紹介したいと思います。

同時通訳者の田中さん

田中さんのプロフィールを紹介すると、

中学校時代は、「高校へは行かない」と青春・反抗期真っ只中

     ↓

それでも先生の勧めに従い進学した(させられた)新設の進学校に馴染めず、不登校になる

     ↓

出席日数ギリギリで卒業

     ↓

フリーターになる

     ↓

興味を持っていた演劇において、海外研修プログラムに参加しそこで英語と出会い今日に至る

と言うもので、帰国子女などではなく、我々と同じく苦労して英語を身につけられた方です。

英語はコミュニケーションの道具

高校卒業後から同時通訳者になるまでなど詳細は読んでいただくとして、気になった最初の箇所は、英語は「コミュニケーションツールだ」ということ。

まさにその通り。英語なんて大層なものではありません。日本語やスワヒリ語と同列の、単なる1言語。

よって、究極的には次の節のタイトルにある通り「通じれば良い」のです。高尚な必要はなく、自分の意思が体現できればよいのです。

問題は「通じる」が異なること

英語は「ただしくあるべきもの」ではない。コミュニケーションのツールだ。自分の思いや考えを伝えるためのものだ。

不登校の女子高生が日本トップクラスの同時通訳者になれた理由

その通りですねよ。ですがこの英語が「通じる」のレベルは人によって違う、これが問題なのです。

旅行だけに英語を使う人であれば飛行機で、機内食を選ぶ際、「Beef or chicken?」と言われ、「ビーフ、プリーズ」と答えられれば良い。

しかし仕事で使う人の「通じる」は、それでは不十分で、納期の確認や支払い方法、送料等の費用はどっちが負担するのか等々を確認しなければなりません。

旅行に必要な英語とは違うレベルの「通じる」が求められます。ましてやお得意先の外国人が日本に出張してくるので、そのアテンドをしなければならない、となったら、もっと難しく、即応性のある英語力、スピーキング力が求められます。

「英語なんて単語で通じるんだからよくねぇ?」などとよくこの「通じる」についてマウントをとってくる人がいますが(特に小賢しい中学生!)、この「通じる」の定義については注意が必要です。

ネイティブ信仰の呪縛

漠然と英語を学ぶ人に見られる傾向の1つに、「ネイティブ信仰」のようなものがあるように思う。「講師は全てネイティブスピーカー」をうたい文句にしている英会話学校、「ネイティブ並みの英語力」など、日本人が英語について語る時、「ネイティブ」と言う言葉をよく耳にする。しかし思い切って言ってしまうと、ネイティブスピーカーを目指す事は、日本人が英語を学ぼうとすることにおいて障害以外の何物でもない。

不登校の女子高生が日本トップクラスの同時通訳者になれた理由

これも全くその通りだと思います。

そもそも、ネイティブに習ったからといって、ネイティブスピーカーになれません。そしてそもそもネイティブスピーカー並みの英語力が求められていないのです。

先に書いた「コミュニケーションツール」にも通じますが、いま英語の獲得に苦しんでいる人たちにはネイティブ並みの英語が求められている人はほとんどいないでしょう。

大体ネイティブ英語、とは何でしょうか?おそらく皆さんが一般的に想像するのはハリウッドの映画に出てくる白人の俳優さんの英語でしょう。

この時点で、ネイティブ英語の定義に偏りがあります。ネイティブ英語には、イギリスの英語もあるしオージー英語だってある。そしてアメリカ英語だって白人英語だけではありません。

確かに、エスタブリッシュメントに英語をならば、上流階級が話すような発音で、多くの英単語を話せるようになるかもしれません。ですが、英語の会話をそれで行うのはむつかしいでしょう。

【悲報】ネイティブのように英会話できるようになりません。

そもそもそのような英語を話せるとしても、それを目指して頑張ってきた人は、目標設定の考え方が少々おかしく、あまりオツムが良いとは言えないので、あまり使えない人だと思います。

目指すべきは「国際語」としての英語

英語ネイティブでない我々が目指すべきは、「国際語としての英語」を磨くこと。そして、そのためには、ぜひネイティブでない人の素晴らしいスピーチを聞いてほしい。彼らが英語の巧みさではなく、表情や、声のトーンや、身振り手振り、存在感の全てを使って、どんなふうにメッセージを伝えているのかを研究してみると本当に学ぶことがある。

不登校の女子高生が日本トップクラスの同時通訳者になれた理由

このブログで、書いてきたことの結論はここに至るのではないかと思う位にまとめてあります。過去のブログでも取り上げていますが、私は全く同意です。

最低限の発音の基礎は重要ですが、基礎以降は発音にこだわるのではなく、その中身にこだわるべきです。

というのも、ネイティブの中にも、本当に中身のない話、世の中に疎い人は山ほどいます。片や、ネイティブではない人が、トップに立って組織や人を引っ張っているケースがあります。

「英語はペラペラ中身もペラペラ」ではなく、「英語フツウ中身ギュウギュウ」を目指すべきなんでしょう。そう考えると、国際語としての英語には、「教養人としての素養」もとしてもそれをも含まれるのかもしれませんね。